ステレオタイプ( Stereotype) という言葉がある。
ものの考え方や表現が紋切り型で一様であることを表現する時に使われる言葉。
元々は社会学の用語として使われたもので
銅鑼灣通渠、
語源は、ステロ版(鉛版)の印刷術から来ているところから
日本人の学者でステロタイプと表現する人がいる。
ステレオタイプを辿っていけば、共同で刷り込まれた意識や言葉にぶち当たる。
人間に一度刷り込まれた言葉や意識というものは、なかなか抜けないものらしい。
たとえば、「大きいことは、、、」で止めると、
「♪いいことだ~!」(古っ!)という言葉が浮かんだり、
「当たり前田の、、」で止めると
葵涌通渠、
「クラッカー」(古っ!)という言葉が、無意識に出てきてしまう。
人の無意識状態の中には、そのような決まった発想の連鎖というものがあるようだ。
たとえば、「雪国」といえば、雪国にまつわるものが連想される。
どちらかと言えば、マイナスイメージのものが多い。
その雪国を元気づける意味もあって、昭和63年に新潟県中魚沼郡中里村 で
「雪国はつらつ条例」が制定された。
「溌剌」と漢字で書くと読みづらい。ひらがなにしたが、これがアダとなってしまったようだ。
すなわち、平成14年の中学公民教科書『新しい社会 公民』(東京書籍刊)で
「雪国はつらいよ条例」と誤って紹介されされてしまった。
写植した人間は、ふと『男はつらいよ』が、よぎったのかもしれない。
こういった間違い、傍観者にとっては、おもしろいものを提供してくれたって感じかな。