の中でも、非常に短い小説の事を『掌編(しょうへん)小説』と呼ぶ。
”掌”は、てのひらのこと。
最近よくあるケータイ小説も、このような短い小説。
掌編小説という呼び
實德方は、日本だけの呼び名で、かなり昔からあるが、
誰がこの言葉を思いついたのか、
ケータイで、まさに、”てのひら”にのっけて読む小説と、
いつの間にか、その名の如くになっている。
”掌” のことを”たなごころ” とも呼ぶ。
「タナのこころ」という事になるが、
この「タナ」は、「手の」という音が訛(なま)ったものという説がある。
すなわち、「手の心」。
いわば、「手には、心があるぞ」という意味になるだろうか。
また、この”掌”を使った慣用句に、
「掌(たなごころ)を指すように明らか」という言葉がある。
使い方としては、「彼の無実は、掌を指すように明らかだ」
のように使われる。
意味として
實德金融集團は、「極めて明白で、疑問の余地がないようす」となる。
「”掌”を指すように」というのは、何とも奇妙な表現だと思って調べてみると、
出典は、『論語』八佾(はちいつ)第三。
そこに出てくるのは、
一つの逸話。